代理人(市川守弘弁護士)
簡単に私のほうから。今回、静内町──旧静内町ですね──から発掘されたアイヌ遺骨、ひとつは静内駅前アイヌ墓地改葬事業で(掘り出され)北大がいま持っている161体。それから、同じく旧静内町の豊畑アイヌ共同墓地から出た32体。これは(北海道大学医学部)第一解剖(学教室)のほうが持っていって、第二解剖(学教室)に移管している遺骨ですけれども、これが32体。それから(浦河町)東幌別の遺骨。これも第一解剖が持ってっているようなんですが、2体。合計167かな(後に訂正、正しくは合計195体)の遺骨の返還を北大に求める、というのがひとつ。訴えは2つあって、もうひとつは、行政訴訟になるんですけれども、(被告は)旧静内町、現新ひだか町。これは墓地改葬事業の際に、改葬をせずに、アイヌの遺骨、特に頭蓋骨、あたま、頭蓋骨を中心に、(北海道大学が)持っていくっていうことを承諾、というか、自ら一緒になって北大に移してしまった。(北海道大学の研究者らが引き取らなかった)残りの「残骨」というものについて、新しく改葬する先の墓地に埋葬はしてるんですね。だからまだ改葬義務、改葬事業が不完全なまま、未完のまま終わっているから、義務として、ちゃんと改葬しなさい、と。その義務の確認を求める行政訴訟を、静内町(新ひだか町)を相手に起こしました。これは行政事件と、ふつうの民事事件のふたつあるので、併合はしないで、別々の訴えという形をとりました。だけど、(口頭弁論の)期日は同じ期日でやってくださいという上申を出しています。北大との関係では、北大は遺骨返還するということで、すでに3カ所、地域に返還するということで、まあ(従来と同様の)和解条項が固まっているので、おそらく同一条項で北大は了解するのではないかと推測はしています。新ひだか町に関しては、(大学から返還された遺骨を埋葬するための)墓地の手当てをしてほしいという事前の交渉をこの間ずっとしていたんですが、いまひとつ新ひだか町は他人事なので、「あなたにも(改葬を完了させる)義務があるんですよ」っていうことを明確にする意味で、訴えを起こしました。こちらとしては早期の遺骨返還を望んでいるので、もし新ひだか町が「墓地を用意する」ということを鮮明にすればですね、早期に和解するということも可能かと思います。しかし現時点ではよく分かりません。そんな状況です。
葛野次雄さん(コタンの会副代表)
昨年の浦河・杵臼に返還された12体に始まり、浦幌、そして北見紋別と、(カムイノミやイチャルパの祭司として)遺骨の返還に携わり、先祖の方々に(遺骨をとりもどしたことを報告してきました)。(しかしいまなお)何十年もの間、北大の冷たいところ(医学部アイヌ納骨堂)に(墓地から持ち出されたままの多数の)お骨がある。これはわれわれ、先祖にとってはね……。だれかがどこかで言っている(ような)「アイヌの尊厳ある慰霊」は、(白老町に建設中の国立施設に大量の遺骨を再集約するという)あのような形ではなくて(それぞれ故郷の地に再埋葬してこそ可能ではないでしょうか)。(人は)土から生まれ、土に戻る。母なる大地。私の父親(故・葛野辰次郎エカシ)は(そのことを)いつも語っておりました。なぜ土から人間ができるんだ? 疑問があろうかと思いますが。この大地ひとつだけでは生命は誕生しないが、すべての自然界にある(営みによって生命が誕生します)。(アイヌの祭司は)太陽系、火星金星のほうまで御神酒(おみき)をあげ、祝詞(のりと)をあげ、この自然界、土の下もね、神様にも御神酒をあげ、「何百年何千年の間、静かに、傷つけないように使わせていただきます」「これからもそうします」ということで祝詞をあげております。われわれの生命の根源は、そこから、母なる大地から生まれて、母なる大地に還る。われわれの肉体は土に帰す。われわれの肉体は、何らかの形で、何十年かかけて、土の糧(かて)になりますよね。モシㇼコㇿフチって言うんですが。そのモシㇼコㇿフチを大事にするとともに、大事に使わせてもらって、またモシㇼコㇿフチから、土から、母なる大地から、私たちの生命が誕生する。(アイヌは)何百年も前から(そういう思想をもって暮らしてきたと)父は言っておった。(私の家系はたどれるだけでも)私の子どもで9代目になります。家系図も残っていますが、古くからそういうことを語っております。(今回の訴訟については)話がどうなるかよく分からんけれどね、(政府が2020年までに開設する予定という)白老の施設(民族共生象徴空間)に(全国の大学などに留め置かれているアイヌ遺骨や副葬品を)持っていって、あれがアイヌの尊厳ある慰霊かということになるとね。誰がそんなことを言ったんだ、と。先輩方がね、「(人は)土から生まれて、(亡骸は)土に帰す」と力強く言っていたにもかかわらず、なぜ、アイヌの「尊厳ある慰霊施設」が、白老に行って、(大学や博物館に留め置かれてきた従来と)同じような形の中で(行なわれることに)なるのかっていうことは、私の頭の中でも理解できないし、亡くなったわれわれの先祖の人たちがどう思っているんだ、ということを、深く考えなければならない時にきている。そんななか、(去年から今年にかけて実現した、北海道大学医学部アイヌ納骨堂からの)遺骨返還にあたり、何十体か(の再埋葬・慰霊儀式を)私もやらさせていただきましたが、今回の静内の多くの遺体、遺骨に対し、早く帰ってきて、その地において、静かに休んで欲しいなという思いでございます。多少長くなって申し訳ありません。ありがとうございました。イヤイライケレ。
山崎良雄さん(コタンの会副代表)
私は、浦河町杵臼の育ちなんですが、杵臼の海に近いほう、すぐのところに東幌別という地区があります。そこのアイヌコタン、東幌別コタンと、杵臼コタンの交流の中で、(北海道大学によって)同じ(ように)コタンの遺骨が2体、持ち去られたということで、何としてもこれは早く土に返してもらいたいという気持ちでいっぱいです。何があろうと、やっぱり、土の中に眠っていたものが、大学の研究室に何十年と置かれていたということは、これは本当に、人権(侵害)そのもの。アイヌの遺骨だからいいのか? これが和人の遺骨だったらどうするんだ? 私はそう訴えたいです。なんとか早く戻ってくれるように祈るばかりです。イヤイライケレ。
神谷広道さん(コタンの会)
私は新ひだか町の東静内というところで育ちました。このたび遺骨が、訴訟を起こしたことによって帰ってくることを願っています。国でやっている、白老の納骨堂に納めるようなことは決してしてもらいたくない。地元の土に埋めてやりたいと願っています。
清水裕二さん(コタンの会代表)
コタンの会代表の清水でございます。お三方がお話しされていましたけれども、基本的には同じ思いでございます。いわゆるアイヌは、土から生まれて土に戻ることが最高のしあわせなんだ、ということを改めて申し上げたいと思います。お三方が言われたのと同じように、私は思っています。とくに、葛野次雄副代表のお父様(故・葛野辰次郎エカシ)につきましては、私自身、静内勤務の時に──職場が静内にありまして──そのときの7年間、隔週の土曜日ですけど、7年間(エカシのご自宅に通い詰めて)、いろいろ教えを請うた者なのです。葛野次雄副代表のおっしゃったことを、(自分も辰次郎エカシから)こう学んだなあ、ああ、こうやって言っていたなあと思い出しながら聞いていました。静内(駅前墓地)から掘られた件につきまして、実は私は(静内高校在学中の1950−51年当時)高校生の時に、掘られている場所(静内駅前旧アイヌ墓地)を二度ほど見学しました。なぜ見学したかというとですね、静内高校に当時、郷土史クラブっていうのがありましてね、それの顧問をしている先生が、私の日本史の担当の先生だったんですね。この先生の授業、今になって思い返すと、1時間か2時間、授業を受けたかな? ほとんど受けてなかったと思うんですね。(その教員は授業を休んでもっぱら)墳墓だとか、お墓(から人骨や副葬品など)を掘り出すことばかりしておりまして。その先生の名前を忘れてしまいましたけども、ニックネームだけはよく覚えています。モグラ。そう呼ばれていた先生でした。この先生が授業をほったらかしても掘っていたということを明らかにしたいな、というふうに思います。訴状を見ていただければお分かりのように、本当にそのように書いてありまして、当時は郷土史クラブのみならず、その他の団体が(アイヌ遺骨発掘に)関わっていた。という状況にありまして、ぜひ静内の──数字、(持ち出されたままの)遺骨の数そのものも大きいわけでして、ぜひ静内の大地に帰ってもらいたいという思いがありまして、きょうの提訴ということになったかと思います。いろいろと問題もありましょうが……何か私のことについて、あちこち電話が飛んでいるようでして。(コタンの会の他のメンバーに)「お前の団体のオヤブン」って。私、オヤブンと呼ばれて。(コタンの会による提訴の動きに対して批判的な)電話が来てるようでしてね、今さら驚くこともなくて。ともかく、きちっと(遺骨を)返してもらえればそれでOKだと思っております。いろいろご支援たまわればありがたいと思います。以上です。
原島則夫さん(コタンの会)
やっぱり元の土地に戻す。そのことが一番大事なことだと思うので、早く帰してあげたいと思っています。
小川隆吉さん(コタンの会顧問)
今(みなさんの話を聞いていて)思ったことは、この状況を、亡くなった海馬沢博さんに知らせたいです。(海馬沢さんは)三十数年前に、北大総長に向かって、「骨を返せ」「骨を返しなさい」と言って、闘って闘って闘ってきた人です。(その思いを引き継いでここまできたかと思うと)とっても今日は嬉しい。