浦河町杵臼カムイノミ、イチャルパにご参列いただき、ありがとうございました

コタンの会は2019年10月5日、浦河町杵臼生活館で、北海道大学から85年ぶりに返還を受けて元の墓地に再埋葬した先祖たちの遺骨に対するイチャルパとカムイノミを行ないました。

 

この日は、儀式に先だち、北海道大学から追加返還の遺骨など4箱を受け取り、儀式会場に安置して、ねんごろに弔いました。

コタンの会は、多くのみなさまから、さまざまな形でご支援をいただいています。

 

このたび、2016年にはじめて帰還した先祖たちの遺骨を再埋葬した浦河町杵臼コタンの墓地に、寄付金の一部を活用して、これまでの経緯を記した石碑を建立しました。

 

みなさまのご支援に改めて深くお礼を申し上げます。

ウタリ  アエカㇱヌカㇽ

 

ポネ オシニキ タテケンル アカㇽキワ 

アイヌウタリ ウコラミンカレ アンキアワ 

シタンネパイカ アエモㇱマ キワ 

アパンペオㇱケ キアコㇿカ 

テウンノアナㇰ シアㇽモンサモロタ 

ネㇷ゚ ヌシッキ  キイカ コイサㇺノポ

オモンラッチノ シニ  キクニㇷ゚ ネルウェタパンナ。

メチャッコネワ トゥマㇺネワ

タアンラクンモシリ コホッパキ 

シンリッネ ウタリ オイナネレキワ イコレキヤン。

 

ここに眠るアイヌウタリたちは、

長らく納骨堂に閉じ込められたまま、

研究の対象とされ続け、侮辱を受けてきましたが、

いまは極楽浄土で、何の気苦労もなく、

安らかに休んでいることでしょう。

苦悩に耐え、

遺骨をこの地上に残していった祖先たちを敬い、

大切に想ってください。

 

ここ杵臼コタンの墓所に葬られていた大勢のアイヌの遺骨が、北海道帝国大学医学部の和人教授らによって、「学術研究」の名のもと、組織的に掘り出されたのは、1931年9月だった。コタンで生まれ育った城野口 ユリと小川隆吉は、長年にわたって「先祖の遺骨を返せ」と声を上げつづけ、先住民族の権利にもとづいて裁判を起こし、2016年7月、じつに85年ぶりに、遺骨たちの故郷への帰還を実現させた。遺骨たちは、子孫たちと「コタンの会」の手でねんごろに再埋葬され、このクワの下で眠りについている。

 

コタンの会 2019年10月5日


90年近くも北海道大学に留め置かれ、ようやく地元に帰還したコタンの祖先たちのために、カムイノミとイチャルパを執りおこないます。大学から返還漏れのあったご遺骨を受け取り、元の墓所に再埋葬します。

 

主催 コタンの会

日時 2019年10月5日13:30〜

会場 北海道浦河町杵臼(キネウス)生活館(浦河町杵臼515 電話0146-28-1343)

 

※観光行事ではありません。会場では主催者の指示に従ってください。


北海道(帝国)大学による杵臼墓地アイヌ遺骨発掘もちさりと返還の経緯

1930~70年代、北海道(帝国)大学医学部の教授らが各地のアイヌ墓地を「発掘」して大量の遺骨と副葬品を研究室に持ち帰り、遺骨の大半が現在も学内に留め置かれたままになっています。2012年、浦河町出身のアイヌ3名が先祖の遺骨・副葬品返還と賠償を求めて北海道大学を提訴。2016年3月、和解条項に基づき大学が遺骨を元のコタンに返還を始めました。

1931年9月 北海道帝国大学医学部解剖学第一講座の山崎春雄教授が浦河地方の杵臼コタンなどでアイヌ墓地を発掘し、大勢の遺骨を収集。

 

1950年2月 北海道大学医学部解剖学第一講座が同第二講座へ遺骨を移管。

 

1984年8月 北海道大学医学部が構内に新設した標本保存庫(アイヌ納骨堂)に遺骨を移送。「収容遺骨体数は合計1004体」と公表。

 

2012年9月 杵臼出身の小川隆吉エカシ、城野口ユリフチらが、持ち去られた先祖の遺骨・副葬品の返還と賠償を求めて北海道大学を提訴。

 

2015年12月 返還遺骨を受け入れるための地元組織として「コタンの会」設立。

 

2016年7月 和解条項にもとづき、北海道大学が身元不明遺骨12箱(11人と人数不明の1箱)をコタンの会に引き渡した。杵臼墓地にアイヌプリで再埋葬。

 

2017年10月 和解条項にもとづき、北海道大学が身元が明らかな4人の遺骨をコタンの会に引き渡した。杵臼墓地にアイヌプリで再埋葬。

 

2019年10月 北海道大学が返還漏れの遺骨など四箱をコタンの会に引き渡した。杵臼墓地にアイヌプリで再埋葬。コタンの会が同墓地に「ウタリ・アエカシヌカル碑」を建立。